水玉桜  sample1


学生のうちは思う存分遊んどけと、大人にはよく言われるもんだけど、その気持ちがまだどうにも分からないのはやっぱりおれがまだ社会を知らない、子供だからなのだろう。
高校という自分の中の及第点に達した今、大学入学までの春休みを過ごす事になろうとは、つい二年前の自分では考えてもみなかったに違いない。
実際、この休みが明ければ自分が大学生になるという実感はまだ持てずにいる。
大学進学という道を選んだのは、高三になって少し経った頃。内緒の恋をしていた恋人であり教師の背を追ってる内、同じ教壇に立つ夢を抱き、それを将来の目標と定めたのがきっかけ。
しかし勉強も決して出来た方ではない自分の教育学部進学は、担任から学年主任の教師まで度肝を抜かせた。親を交えた三者面談の時なんかは突然変えた進路に対し、恋人の教師が…などとは言えるはずもなく、口から出たその場限りの言い訳で乗り切った。
正直、自分にしてみても夢を抱けどそう簡単に将来の目標へ届くものではないとは思い、大学進学が出来ない場合の就職という道も考えていた。
ところが有り難いことに自分の元に届けてくれたのは合格通知。進学を内定に蕾を膨らませている桜の木の下、先日卒業式を迎えた。

そしておれは今、まさしくその恋人のマルコの部屋で仕事をなかなか終えない背中に視線を送りながら、なにをして時間を潰そうかを考えているところだった。
窓から見下ろせる入学式の時期を待てずに八分咲きとなった桜咲く公園を眺め、そこで珍しくも古典的な缶蹴りをして遊ぶ小学生位の男の子達に口角を緩めた。
おれにもあんな時代があったなぁ。
二つ離れた弟と毎日のように公園へ行っては泥塗れで家へ帰る。すると必ずと言っていい程母に怒鳴られ、風呂場へ直行するハメになるのだ。風呂から上がった後の母の飯が一番美味しくて、親離れしたいと思う自立心が芽生えても家を出れないのは、まだそこにある。
大学入学を控える兄、高校二年に上がる弟、ともに今は春休み。
学校が休みならば、学生と一緒に教師も休みに違いないとの考えはさすがに中学生になる頃には改められたが、正直なところここまで忙しいものだとは思っていなかった。教師が春休みの内にやらなければいけない仕事。
それは一年間の授業構成。
高校の教師となれば専任を持っているが、高等の学年にふさわしい学力を身に付けさせるため、他の授業との割合も考えながらこの春休み期間に全て決めなければならない。
更にクラス担任ならば次学年のクラス割りを決める打ち合わせ、一人一人の進路表のチェックと、次年度から二年の担任をするマルコにとって休みはないのだ。
しかし、そう分かっていても先立つ気持ちが抑えられないのも、また子供だと呆れられてしまう原因の一つかも知れない。
「暇だー、仕事まだかよー」
「ついさっきも言ったばっかりだろい。暇なら此処に居なくていいんだよい、帰れ」
「だから待ってるっつってんだろ」
待つと言いながらも口を紡いでからたったの三分も経たない内に一人掛けのパソコンデスクへ向かうマルコの横で、椅子をがたがたと揺らし不満を向けた。
「なぁどっか出掛けようぜぇ、マルコも仕事ばっかでたまには気晴らしにさ!」
「卒業式終わったからって三月いっぱいはまだうちの学校の生徒である事を忘れるなよい」
説明が漏れていたが、おれが恋をしてしまったこの相手は、この間まで通っていた高校で日本史を受け持っていた教師。週に三限しかない授業を心待ちにし、分かりやすくもその教科だけ成績を伸ばしていったのもいい思い出。
必要以上にはバレていないと思っていたおれ達の関係が、校長に気付かれてしまったかもしれないと冷や汗を掻いたのは、あろう事か卒業式の日。
下手に動いてしまえば墓穴を掘ると、耳を立てるだけにした結果マルコが言葉巧みに言い逃れ、おれを無事に卒業させてくれた。だからといって言われた通り気は緩められず、もし町中で教師と生徒以上の関係を持っている等と見かけられてしまった場合立場が悪くなるのはマルコの方。教育委員会から解雇通達がされる可能性まである事を考えられる程には大人になったつもりだ。
だが、週に三回は必ず会えていた学生時代から未だ名残りを引き摺ってもいる。自分が暇だからという現実も加えて自然に向いてしまうマルコも家に入れる事は拒まないからこそ、甘えてしまうのだ。
卒業と同時に貰ったマルコの家の合い鍵はなかなか自らで使う機会は訪れず、キーホルダーをつけていつでもポケットに忍ばせてはおくものの、そろそろ鍵の方がキーホルダーの飾り物になりそうな程。
マルコの家へ泊まる事も増えた最近では、家族もここに居るだろうと大した心配もされない公認っぷりに少々恥ずかしい。ましてや弟に至っては、前年度担任であったマルコが今年度もまた担任となる可能性もある。クラスの担任教師と、兄が付き合っている心境なんてどんな気持ちなんだろうか…。
「大学から課題出てるんだろい、さっさとやれよい」
「むずいんだよ、一応家でやってんだぜ?おれだって…せっかく受かった大学だから大事にしてェし、教師にはなりてェし」
また生徒のような扱いをされエースはむすっと口をへの字に曲げて、鼻を鳴らした。勉強しろと囃し立てられればされるだけ、やりたくなくなるのも子供の特性だ。
しかし、十八年間嫌ってきた勉強を今更好きになれというのもまた無茶な話だろう。
この部屋はパソコンデスクのほかに書斎としての役割もしているらしく、自分にはとても読むに難い分厚い書籍が棚を占めている。教師になるにはこれを読まないといけないのかと脳を過ぎった時、思わず目を逸らしてしまいたくなった。
「車の免許でも取りに行ったらどうだい。新米の内は遠足、修学旅行、大会のグラウンドの下見で足に使われる事が多いぞい」
それにも気が乗らないのか、マルコの提案にエースは結んだ唇はそのままに背もたれへ肘を乗せて椅子の前の足が浮く程に後ろへ仰け反る。
「あんたの運転が好きなんだよ」
「それはいいが、運転手のおれが常に居ると思うなよい。教育実習は大体出身校と決まってるがねい、就く学校はお前に決められねェんだからよい」
そのマルコの言葉に天井を仰いでいたエースは後ろに置いた重心を前に戻す事を忘れ、そのまま椅子ごとカーペットの床へ倒れ、部屋に重たい音を響かせた。
考えが甘いのだと言われてしまえば反抗の言葉は見つからない。
初耳だった。
マルコもそれを止めれる程の反射神経はなく、倒れたエースに何してんだいと呆れるように息を吐いてから椅子を立ち上がる。
しこたま打った背中を慰める程の思考さえ回っていないエースの元へ向かったマルコは隣へしゃがみ、エースの表情を覗いた。





(本文冒頭)