wings torn to pieces  sample1(本文冒頭)



― Prologue ―


その日は特別冷えた日だった事を覚えている。
朝見たニュース番組では三年振りだか、四年振りだかの豪雪になるとやたらと騒がれていてあちこちで公共機関の遅延やら、スリップによる交通事故やらが起こっていた。雪が降る事自体珍しいこの地で、舞い散る白い粉雪に子供ははしゃぐ。大人は見るからに機嫌の悪そうな顔をしてコートに付くそれを払っている姿がちらほらと見える。
会社を出た目の前の通り。毎日通う道なのでもうすっかり見慣れている。冬の時期に行われるイルミネーションとしては毎年ニュースに取り上げられる程有名な通りらしいが、その冬もこの会社に入ってから二十回も見てしまっていれば今更そうそう心を揺さ振られる景色はない。
しかし今日は、やたら行き交う人の種類がほんの少し違う。その理由に辿り着くにはそう時間は要さなかった。
―――今日はクリスマスだ。
そういえばテレビではホワイトクリスマスなどとも浮かれた様子でアナウンサーが話していたが、はしゃぐ理由もそれを共に楽しむ相手もいない自分にとって今日の日を特別な日だという認識は無い。ただまぁ確かに、その並木通りは赤や白や黄色などの彩りによって華やかさを増し、目を奪われる気持ちも分からなくはない。
いつもは通勤に使っている車を会社に併設されている駐車場へ停めているのだが、今日はこんな気候のせいもあって自分が来た時には既に一杯になってしまっており、朝渋々少し離れた立体駐車場へ車を停めたのだ。そこへ向かうまでの間は自分もそのイルミネーションに目を向けて、その景色を少し楽しんでみる。革靴がコンクリートの地面を踏むたび、ビジャッと雨とは違う、雪独特の感触が足を伝う。
吐く息は白く、手はポケットに入れていても凍えていた。

このマルコという人物は、一流企業に勤めて二十年近くになる四十代目前の男である。
イルミネーション光る通りで、手を繋いだ老若男女のカップルが居るにも関わらずマルコに限ってはその相手も居なく、ただ帰宅という目的に向かって歩みを進めていただけだった。
いい歳になるというのに未だ結婚をしていない。女に不自由しているわけではないと、結婚を囃し立てる同僚へ言うのは、裏を返せば嫌味だ。女は不自由していない、即ち言い寄ってくる女は絶えず居るという事なのだ。遊ぶ程度には女も抱いている。女と恋をして、結婚という道を考えていないだけで。会社での地位も管理職と歳相応に恥ずべき事無いものであり、社内でも仕事が出来る上司として男女共に人気があるのもこの男くらいだろう。
高校卒業時に家を出て、大学に入学したマルコは、学生時代にも特になんの不自由もなく、卒業と同時に今の職へ就いた。それから年に何度か顔を見せる程度で疎遠になっていた両親はつい二年程前に病気の為、他界。後継ぎの顔を見せられなかったのが唯一の悔いだと言うマルコは、今も変わらずその仕事を続けている。
不幸だと言ってしまえばそうなのだろうが、そう数奇でも無いマルコには一つだけ、普通の人間とは違う面を持っていた。
それが、前世の記憶があるというところだ。
この広い世界で、幼い頃に前世返りといって記憶を持って生まれてくる子供が居る事は珍しい事ではないのだろう。しかしその全ては、十歳になる頃にはもう現世新たに増えていく記憶の中で末端に追いやられ、最終的には消え行くものだろう。ところがマルコはもう四十歳になるいい大人だ。それも記憶の一片ではない。
天界で暮らしていた様子、景色、仲間、食い物、知ってる記憶を挙げ始めたらキリがない程だ。更には、
『記憶は来世まで受け継がれる』
そう言われた記憶までもが鮮明に残っているのだ。
前世での自分の姿を知っている。等身は人間そのもののくせに、その背には鳥のように白い羽根を生やす。それが天界に住んでいるとなれば答えは一つだろう。考えられている通り、それこそが天使というものだ。
これを言って全ての人間に信じてもらおうとは毛頭考えていない。男が天使だとか、若くもないのに天使だとか、そもそも人間が死して成った天使に再び死など訪れるのかだとか、幾万の疑問が浮かぶ事も分かっている。
事実、自分自身記憶が無ければそんな夢物語他人から教えられて信じられる気がしない。それ程、現実味の無いものだ。
人間は皆、定められた命の下に生を終える。その後は人間として過ごしてきた記憶を抹消し、天使もしくは悪魔へとなるのだ。そのどちらになるのかは過ごしてきたその人間の生き様を見て、決められるのだという。そして天使、悪魔としての命を終えた時、また人間へと転生する。しかしごく稀に天使悪魔のどちらにも成らず、直ぐに再び人間へ魂を移される者も居るらしい。
曖昧なのは、全てがあくまでも天使の間で言われていた仮説であり、事実は不明だからだ。
人間界で、わざわざ自分に前世の記憶があるなどと語り出す者は居ない。珍しいと思っている前世の記憶を持つ人間の存在だって、マルコだけでなく本当は身近にも居るのかもしれない。彼一人が特別なんて事は、無いのかもしれない。
正確なものなど、何一つ無い。
時計が刻む針の速度だって本来は、何度も何度も繰り返し廻り続ける事によって狂い始めていくものなのだから。



悪魔という者の存在は、マルコが持ってる記憶の中にも存在していた。
悪魔が地獄の番人、悪の象徴などと言われているのは、歴史上で語られるウン万年前の事である。今を生きるその者達は天使と等しく天界と呼ばれる同じ世界で生きているのだ。しかし勿論同じ地を歩いているわけではない。
天界には、水平線を境に永遠に続く空と海の二分に分かれた空間がある。海が空を映したのか、空が海を映すのか。真っ青な世界で空には雲を浮かべ、その代わり海には白い波が立つ。空に住むのが白い羽根を持つ天使ならば、海の底、暗い地に住むのは黒い羽根を持つ悪魔だろう。
「悪魔の羽根ってどんな形してんだろうな」
宮殿に飾られている天使と悪魔の背中合わせの絵画を前に、誰かがそんな事を言った。印象的だったその絵画のタイトルを未だ覚えている。
『誓い』
描かれた羽根は崩れかけていて、キャンパスには描かれていない二人の手は、結ばれているのかと思った。どちらも、目すら合わせないように遠い先を見ているにも関わらず、二人を取り巻く雰囲気は心を繋いでいるかのような、不思議に優しい色を出しているように見えた。
そんなのはおれの偏見だったのかもしれないが。
同じ世界に住んでいるとしても、天使と悪魔が顔を合わせる事はほとんどない。それなのにおれは、おれ達は恋をしていた。羽根の色が違う相手に。
それが、当然許されるわけはなかった。
天使の世界でも、それらを統括する位に立つ者が居た。それが大天使と呼ばれる者だ。その者だけがいわゆる神と呼ばれる実体の無い魂に対面、会話をする事が出来る。生きているとも死んでいるとも言えぬ神の存在は、ただ人間に天使に悪魔に正しい審判を下すだけ。
「マルコ、天使が悪魔と恋をする事は許されないぞ」
なにもしていないというのに、先に起こる未来さえ見据えられてしまっていたのか、まるで指摘のように告げられた一言。
「分かってますよい」
「それは神からの伝言だ」
「嫌味な奴だよい、その神って存在も」
「そう言うな」
釘を刺されてしまっては、なにかと理由を付けて会いに行っていた行為も止めざるを得なかった。
「生まれ変わったらもう一度恋しよう」
約束はその一言。何度言い交わしただろうか。明日から会えなくなってもいいように。今日が最期の日になってもいいように。
そう互いに約束していれば、来世に祈りを乗せる事が出来るだろう?
交わした約束がそう簡単に成し遂げられるものではない事も分かっている。この世には、何億もの人間が居る。一生の内に会い、会話を広げ、仲良くなる人間なんてのはその内の極一部だ。同じタイミングでこの世に存在していない可能性だって有りうる。自分が人間という使命を終えてから、彼が生まれてくる可能性もあった。
四十年待っても見つける事が出来ない。
もう四十年だ。人間の平均年齢を半分生きてきて、これから見つけて共に過ごす事にどれだけの価値がある。そう思っていても、街の中で似た背丈を見つければ振り返ってしまう。まだ諦められていない証拠なのだろう、現世で再び巡り会う運命というものを。
君に恋した、あの日、あの時、あの世界で。
 おれとお前は決して、同じものは見ていなかっただろう。でもきっと同じ未来を願っていた。
 宿命に欺き、抱いてしまった恋心を止める術は無かった。 それなのにおれ達を狂わせてしまったのはなんだ。
 時間か。世界か。天使か。悪魔か。それとも神か。
 その引き合いにかつて天使の頃には慕わなければならなかった神を出す事自体は、冒涜だと言われても仕方のない事だろう。当然許される事ではない。反逆者だ。しかし、そんなレッテルはなにも恐ろしくない。
おれが一番恐れていた事は、お前ともう一度出会えない事。恋が出来ない事。
 しかし人混みの中でたった一つ、運命という奇跡が重なり合う瞬間に気付けたなら。

「エースっ!」

 四十年もの月日ももろともせず、あの日から全てをやり直す事が出来ることが出来るのだろうか。



― Episode T ― IN EDEN


 世間一般的に、天使と呼ばれる白い羽根を持つ人が住むこの世界を色で表現するとすれば、真っ白と断言してしまって誤りはないだろう。見える空、地、壁など全ての景色が穢れのない純白で、色が付いているものは生きているものだけではないかと思わされるほど、そこは白の世界だった。
大体の天使はみな、その空間に浮かぶように建てられている宮殿とそれを取り囲む敷地内で人生の大半を過ごす。与えられた仕事は下界の人間に対し、ちょっとしたいい事を与える。時に、人間の最期を見守る、なんて事もあるがそんな業務が降りかかってくるのは一部上位の天使のみ。そんな誰にでも想像が出来る、いかにも天使そのものの役目を果たす地は宮殿の中にある、大広間のみだ。天使は当然神ではない。どこでも何時でもその目に、その耳に人間界の様子を映せるわけではないのだ。
そういう面から正直な気持ちを言えば、天使として生きているのは面倒くさく、そして非常に退屈なものでもある。
それ以外に決められたやる事というものは無い。人間の時には考えられない程時間を持て余し、贅沢な事に此処に居ると早くまた人間になりたいと思い始めるのが通常だ。
常に同じ景色。人間のように凄くつらい事が無ければ、凄く楽しい事もない。感じる事は、時期になれば成る木の実が美味いだとか、少し寒いとか少し暑いとか、そんな事くらいだ。
「退屈だねい ………」


(本文冒頭)