アー、アー、届いてますか。 02
それでも駅から車で二十分の距離を走ったところで地下へ吸い込まれていった車は、奥の駐車場へ車を止め、「着いたよい」と声を掛けられた。
「マルコ、一人で暮らしてんだっけ?」
「こんな年まで実家に居ても嫌だろい」
「そうだけどさ」
歩いてすぐにあるエレベーターに乗り込めば、気付かなかった階層の高さに驚いて、つい感嘆を漏らす。
「あんた儲かってんだなー…」
押された行き先は十六階とまた結構な上層階だ。
「お前ほどじゃねぇよい」
「おれは給料制だから」
「嘘吐けよい」
「ほんとだって」
音もなく昇っていくエレベーターが、間もなく軽快な音を立ててドアを開くと、マルコが先に下りてその背をエースが追っていく。
ホテルのようなカードキーで解錠すると、玄関脇の棚に車のキーを放って、エースの方へ振り返った。
「どうぞ」
そういうところばかりは律儀なもので、声を掛けてもらえないとどうにも人の居住地へ足を踏み入れる事を躊躇ってしまう。
「お邪魔、します」
靴を脱いでから一歩踏み入れたところで腕をきつく引っ張られバランスを崩し、気付いた時にはマルコの手中に収められていた。
そのせいで、忘れていた緊張感が再び姿を現して、肩に力がこもる。
「マ、ルコ……?」
まだ玄関だ。こんなところで捕らえられてしまっては、自らではどうすることも出来ない。ただ、マルコのシャツを下の方で掴んで、名を呼んでみるだけ。
すると、片方の手に顎を持ち上げられそのまま唇をマルコのそれに塞がれた。
「ん…っ、まっ……ん」
食むように唇を軽く挟まれては離れ、また角度を変えて触れる。
それ以上のキスなど、おれは知らなかった。
「口、開けよい」
それの真意も分からず言われるがままゆっくりと唇を開いていくと、その隙間からぬめりを帯びた熱が割り込んできて、思わず目を見開いた。
閉じようとも、もうそのまま顎を押さえられてしまい、自分の口内で逃がす舌を追って絡ませてくる。
「んゃ……っん、…ん」
沸き上がってくる訳の分からない感覚に、力があったはずの目もとろけて、近すぎるマルコの顔がよく見えない。
妨げる事が出来ない耳にも悪戯のように水音が響いて、ぢゅっと舌を吸われた時、いよいよ膝を崩してしまった。
「はっ……、はぁ…」
キスをされたとき、息をどうしたらいいのかさえ見失う。訳も分からないまま荒れる息が、やけに身体の温度を上げて
「…童貞かい?」
「んなっ、…まぁ……あんたと以外、付き合った事ねぇ、から…」
「そうかい」
マルコに緩く上げられた口角の意味は知らない。
「だから…、一つ一つ、ゆっくり教えてくんねぇとおれ…覚えらんねぇ」
玄関を入ってすぐの壁に背を付けしゃがみこんだまま、顔の半分を腕で覆い、そんな事を言う。
「別に覚えなくてもいいんだけどねい」
視線を合わせるように目の前へしゃがんだマルコが、隠していた腕を掴んでそこにキスを落とし、それから再び唇へそっと触れるキスをしてきた。
「これ以上の事は今度にしておくよい」
ゆっくりがいいんだ。
急いで進んでしまうと、まるで火力を増したロウソクのように、消えてしまうのも早いんじゃないかってそんな不安に襲われて。
「今度……教えて下さい」
ぺこりと頭を下げるとマルコが小さく笑って、その場を立ち奥へ向かった。その背が決して振り向かない事を確認してから、おれは恐る恐る自分の唇に手を触れ、ほっと息を吐いた。
おかしくなるかと思った。
商売道具である声が、変な声に変わっちゃうんじゃないかって。
こんな行為をきっと、よく相談メールで見るディープキスと呼ぶのだろう。
「よしっ」
膝を軽く叩いて立ち上がるとようやくエースもリビングへ向かい、ソファーへ座るマルコの隣へ自分も腰を下ろした。
「なぁ。今度番組で、マルコとでぃーぷきすしましたって報告していい?」
「んな事言ったら番組で犯すぞい」
嬉しいんだよ、あんたに教えられる事が。まるでおれの身体がマルコを覚えていくみたいで。
「そりゃ困るな」
ケラケラと笑うエースに横からマルコが重心を掛けてきて、笑い声が止まった。
その黒い瞳を彼の横顔へ向けて、
「好きだよ」
「ああ、おれもだよい」
なんて事無い、恋愛話。聞きたいなら話してやるよ。
まぁまず始めに、ブラックコーヒーを用意してもらってから。
その日の夜の事。
寝具の取り揃えなど当然無いマルコの家では、エースがベッドで寝ていた。
その同じ布団にマルコが居るのも、恋人同士として当然の様である。
寝相の悪いエースが肩まで出そうな首の広いシャツから腹を出して、ハーフパンツも当たり前のように捲り上げている。
もちろん、シングルのベッドで身を寄せ合うだけにエースはマルコの肩に頭を乗せていて、寝息を立てるエースは時々むにゃむにゃと寝言を言う。
「無防備過ぎるのも問題だよい…」
吐かれた溜め息と、そう心配するマルコの思いはいい夢に笑っているエースには届く事もなく、二人の休日は幸せに幕を閉じていった。
「はーい、今週もやって参りました。毎度お騒がせパーソナリティはエースです」
特別な事なんてない。
この番組も、おれたちの関係も、まだまだ続いていくのだ。
-*END